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意志(will)

意志は、目標を定めてその達成のために行為を促す自発的な思考を意味する。

哲学と心理学では意志、法学では意思と表記するがどちらも同じ原語(独: Wille, 助動詞 wollen を名詞化したもの)からの訳語であって、基本的に意味は変わらない。これに対して、Sein には存在、Sollen には当為という訳語が当てられる。

あることを行いたい、または行いたくないという考えを示す。「意思」が何かを行う/行わないに対する漠然とした思いも含め意味するのに対し、 「意志」は時に具体的な行動を伴う、より積極的な強い思いを表現するために用いられる。

しかし仮に意志が「目標を定めてその達成のために行為を促す自発的な思考」を意味するのだとすれば、我々の行為は思考だけによって規定されるわけであるが、実際にはそうではない。

例えばダイエットをしたい人が食欲と戦う場合、「痩せたい」という「目標を定めてその達成のために行為を促す自発的な思考」だけが意志であり、「食べたい」という(思考とは無関係の)欲求の方は「意志」では無いことになるだろう。後者(食欲)が前者(痩せたいという抽象的目標)に勝った場合、それは自らの意志では無いのだから自らに責任は無い、とするのは我々の経験から見ても明らかに不合理である。同様のことは、性犯罪など欲求が抽象的認識(刑罰への恐れ)に勝ったような場合でも言い得る。

さらに、もしも「思考」が「意思」であるならば、「痩せるにはどのような手段をとればいいか」という「思考」が「意思」ということになるが、 これは不合理である。「痩せる為の手段」を探している主体である「痩せたいという欲求を持つ何か」が意思なのであって、その「痩せる為の思考」の側が「意思」ではない。つまり、思考は意思(痩せたいという欲求)の実現の為の「手段」であり、思考自体が「意思」というわけではない。例えばパソコンはウィキペディアを見る手段であるが、パソコン自体がウィキペディアではないのと同様である。つまり思考は意思(=欲求)によって発生するが、思考自体が意思というわけではなく、思考は意思の実現の為の手段に過ぎない。

ゆえに「目標を定めてその達成のために行為を促す自発的な思考」とは意志全体の説明ではなく、意志の活動の一部、つまり抽象的認識に従った行為のみを説明するに過ぎない。


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